ライターと名乗れなかった私のこと

いまの私ができるまで

Ayako Fujino
Dec 27, 2020

「仕事は何をされているんですか?」と聞かれた時に、ちょっとドギマギしてしまう私。ライターになるまでの流れを回想しつつ、そんな自分を紐解いてみました。

広告屋だった私

新卒1年目。紙ものに特化した広告制作会社に入社。パンフレットやポスター、雑誌やフリーペーパー作りを叩き込まれました。その後、新規事業部で映像のライブ配信事業に携わりました。

そして広告の、全く違う景色を見たいと思い、イベント制作会社(株式会社ライツアパートメント)に転職。大小ものすごい量のイベントを制作している会社で、良くも悪くもイベント漬けの1年を過ごさせてもらいました。

その後、広告プロデュース会社(株式会社kiCk)を4人で立ち上げ、CM制作からWEB、紙媒体、イベント、キャンペーン、SNSなどあらゆるプロモーションを手掛けさせてもらいました。

そう、私は広告屋以外の何者でもなかったのです。

悩みのターン(どん底)

結婚を期に、少しずつ会社やメンバーとの心の距離が離れていきました。それまではプライベートも犠牲にして仕事第一の生活を送っていましたが、そういうマインドではなくなっていたのです。

離れた心は戻って来ず、会社とも相談して退職、それまで担当していた企業の広告制作をフリーランスとして引き続きやらせてもらうことに。会社勤務時代に比べ、ぐっと時間ができたこともあり、軽い気持ちでWebメディアでの執筆も始めました。

フリーランスのスタートは金銭的には恵まれていたものの、精神的には悶々とする毎日。この仕事をするためにフリーランスになったのか?何がしたいんだろう、私は…と問答を繰り返していました。

WhatからHowへ

悶々とした日々に答えを見つけられないまま、1年、2年と過ぎていく日々。その間に結婚式や第1子の出産があり、なんとか前向きに明るく生きていられました。

止まりかけていた歯車が回り始めたきっかけは「cocorone」のライター募集。以前からいいなと思っていたライフスタイルメディアだったので、ダメ元で応募してみることに。

今考えれば「何がやりたいか」よりも、「どんな世界に触れるか」「どんな人(やチーム)と仕事をするか」の方がその時の私にとっては重要だったのです。

もしかしてライターなのかもしれない

若干のライター経験はあったものの、ほぼ初心者レベルでcocorone編集部に入れてもらい、迷惑をかけまくる日々。

書くことが好き、そしてcocoroneの世界観が好き。その一心で、編集長やライター仲間から学んでいくうちに「あれ?私ってもしかしてライターなのかもしれない」と思えるようになりました。

それでも自分が書く文章には自信が持てず、広告の仕事も続いていたことから「広告屋、時々、ライター」そんな自己紹介を継続。

そして再びHowからWhatへ

いくつかのメディアで執筆させていただくようになり、仕事の比重もライター業がもっとも大きくなっています。

いよいよ「ライターじゃない」とは言えない状況になりました。

そんな私が今考えていることは、「どんな人と仕事をするか」「どんな環境でものを書くか」よりも、やっぱり「私が何を書きたいか」なのではないかと思っています。

WhatからHowへ、そして再びHowからWhatへ。

きっとこれからも考えは移ろうけれど、「今」の私が何を感じて、どう行動していくか、を大切にしていきたいと思います。

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